届かない
周囲から向けられる目に反抗するように、俺もまた周囲を睨み返す。
なぜ俺がそんな目で見られなければならないのか。
ただ歩いているだけ、ただ用を済ましにきただけ、誓って言うが、俺はこれまであんたら以上に人を傷つけていない。
他人に当たるぐらいなら自分で消化する。消化しきれなくて、度々もがき苦しんだけれども、それでもその苦しみは誇りの対価として受け取ってきた。
そんな俺でも限界はある。
そう不審者然とした目を向けられたら、なんだか本当に嫌なことをしてやろうという気持ちになってくる。
あんたらは何の気無しに、たとえ事が起こって後で心情を詰められても、悪気なんて一分もなかったと平然と言うだろう。
そういうところにも腹が立つ。
無性に、そういう、自覚のないまま他人を追い詰める行動が、もうどうしようもなく醜く思えて吐き気がする。
だから俺は睨み返した。
図書館の駐輪場でのことだった。
子供連れの母親が三組ぐらいいた。
三組は互いに緩い顔見知り程度のようだった。
ガキは俺を好奇の目で見る。親は当然の如く俺に疑いの眼差しを向ける。
その目だ。その目が嫌なんだ。
俺はガキの行動を一切無視した。
なんなら顔に不快感を表してやった。
そうするとガキも咄嗟に判断して興味の対象を俺から別へと移し変える。
その後、親が俺の表情から悪意を受け取ったと判断した後で、続けて親の顔を直視してやる。
一組、二組目の親は子供に何か話しかける風をして華麗にスルーした。
その顔には、顔の皮がピンと張った、何者も寄せ付けぬ強い表情が張り付いていた。
それを見て少し狼狽えたが、俺は三組目へ対象を移すことで負けじと気持ちの強さを保った。
三組目にも、まず俺の興味を惹こうとする子供に対して邪険な顔を見せた。
その子は前二つと違い、俺の反応に対して興味を失うではなくポカンとしていた。
少し気になったが、すぐ親の視線を感じたので睨み返してやる。
相手は一瞬、狼狽えた表情を見せた。そのすぐ後、その表情の色は悲しみへと変わっていった。
それを見て、俺は、胸が痛んだ。
酷いことをしてしまったと、逃げ道のない塞ぐような暗い気持ちになった。
数歩進んだ後、後ろを振り返った。
母親は、無邪気な子を横に添えて、今にも泣き出しそうな、辛さを必死に堪える表情をしていた。
その顔は、何かに裏切られたときの俺と同じ表情をしていると思った。
そして三組目の子はダウン症だった。
俺は嫌な気持ちを胸にしたまま、その場から立ち去った。
*
そうじゃない。そうじゃなかった。
俺のしたかったことはそうじゃなかった。
俺は俺を苦しめるあの目が嫌なだけだったんだ。
それで、俺の中に産まれたあの目を振り払うために睨み返しただけだったんだ。
あの親を傷付けるためではなかった。
同時にいくつかの悲しみが湧いてきた。
一つ確実なのは、自分もあの目の一員になってしまったという自覚。
俺は俺の嫌いなものに成り下がってしまった。
そしてもう一つ大きなものとして、世の不条理さが避けられぬものとしてあった。
俺の嫌いな目は一、二組目だ。決して三組目ではなかった。
なのに、真に懲らしめてやりたい相手は華麗に悪意を避ける一方、俺が日頃守りたいと感じる「弱い」人こそ、俺の悪意が刺さってしまう。
違う違う違う。憎まれっ子世に憚る。俺はその憎まれっ子達をギャフンと言わしたいのだ。
なのに、どうして守りたい弱い者だけに俺の悪意は届いてしまう?
なぜこうも上手くいかない?
不当な強さを手に入れる憎い奴らを攻撃しようとすると、損をするのは弱い人。
これじゃどうしようもないじゃないか。
永遠に、憎まれっ子は世に憚ることになる。
そして弱い者はもっともっと虐げられることになる。
この宿命とも思える意地の悪いシステムが、俺をどうもあのダウン症の子から離してくれない。
弱気を助け、強気をクジク?
不可能じゃないか。
それに嫌なことは自分の側にもある。そんなことしてる間に俺は自分がそこまで強くないことを知る。
無力さだけ受け取って、結局何も変えられずに終わる。
永遠と続く。人の業なんて言いたくはないが、少なくとも人の生理は人間が築き上げた「良いもの」とうまく噛み合わないことは分かる。
俺はこの世の設計者を憎む。
俺たちは何を試されてるんだ。
ただ遊ばれてるだけなのか?
こんなことして、天国すらなかったら、人間は何のために生かされてるんだ。