寄生獣を読んで

 

岩明均作: 寄生獣(講談社 完全版)全8巻

 

読了。

 

間間にある、「読者の問いかけに  作者が答えた。」という小話がいい。

 

活字の伝える力を再確認できた。

 

岩明いわく、漫画の終わり方には2パターンあるらしい。

 

前者は、物語が死んでようやく終わる終わり方。

 

人気がない、だったりネタ切れとも言える。

 

岩明の言葉を借りれば、人気と作者のやる気がある限り永遠と続くので「無期限進行型」。

 

まあ平たくいえば週刊少年ジャ◯プ。

 

後者は、物語が完成して終わる終わり方。

 

無理な引き伸ばしをせず、無駄な要素も加えず、ただ完成へ向かって収束していく作品のこと。

 

岩明のいうには、手塚治虫の作品がそうらしく、これを「作品完成型」と呼ぶ。

 

寄生獣は後者を目指して作られたらしい。

 

なるほど、通りでメッセージ性が強いと思った。

 

そして俺の読みたい漫画も作品完成型だということが分かった。

 

少年の頃はNARUT◯という漫画が好きだったのだが、あれも引き伸ばしの手にかかってからは風体が変わったように思う。

 

話が脱線してきたな。

 

そろそろ本編の感想を言っておこう。

 

地球の生命はみな地球の寄生虫という流れは面白かったし、それを踏まえた上で人間は他種の完全な理解は出来ない、だから人間の視点で人間が考える最善を尽くすしかないというのはそうだと思う。

 

また、最後に他種族(ミギー)が人間を肯定したこともこの考えの先に希望を灯したように見えてよかった (ミギー曰く、人間があれこれ悩むのは心に余裕があるからで、それこそが人間の取り柄であり素晴らしい部分)。

 

さらに浦上が見せたように、同種(ex: 人間同士)であっても完全な理解を共有できるとは限らないという、ともすれば人間至上主義へ向かいがちな風潮にきちんと針を刺しているところも好きだ。

 

うーん。

 

ただ、どうなんだろうな。

 

違和感が残るんだよ。

 

自然観はなるほどそう思うが(人間中心主義<相対主義)、次の行動段階においてはこれじゃ今と変わらない。

 

つまり民主主義バンザイってことだろ?

 

それって結局は数の暴力に繋がっていくじゃないか。

 

現実社会見てどうだろう、民主主義がそんなにいいだろうか。

 

あーダメだ、分からなくなってきた。

 

ただふと恋人関係なんかを思い出したんだけど、自由恋愛になって人は本当に幸せになったんだろうかと思うわけよ。

 

お見合いとか親が結婚相手を決めるとか、わりとそういう古い制度っていうのは人間には合ってたんじゃないかなぁと。

 

つまりだな、精神の高貴さを優先したり理屈上の最善を考えたりするのは最もだけども、そればっかり先走りして生物としての人間と乖離してるような気がするんだわ。

 

ほら、お見合いとか親が決めるのだって 、人間には慣れというものがあるのだからそんなに悪くはならなかったでしょ。

 

まあなんというか、精神性を求めすぎて、社会的動物としての「人間」の面が優先させられすぎていて、生物としての動物、即ち「ヒト」の面が疎かにされ過ぎてるなぁというのが俺の心の底に沈んでる。

 

じゃあどっちをという話ではなく、これはバランスになるのだけど、岩明の視点だと、つまり民主主義バンザイだと、理屈や精神の高貴さばかりが重視されて「人間」の面だけ重視されてどうもなぁという話。

 

とはいえ民主主義に変わるいい案というのも思いつかない。

 

だから俺の提案としては、「人間」の面と同じぐらい「ヒト」の面を全体で重視するということを憲法なんかに組み込んだらどうだろうと思う。

 

これは理屈の世界では相性がよくないから、数学で言う公理みたいなもんだと思ってくれればいい。

 

まあ書いていて思ったが、俺の方こそ妄想じみてて漫画みたいになってるな。

 

大体、民主主義とは何かとか分かんねえのにイメージで書いたわ。

 

あー、無知晒しちまった。

 

終わりが見えないのでここらでやめとこう。

 

漫画は「作品完成型」が好きだが、どうも俺自体は「無期限進行型」らしい。