それなりの貧乏性に成るまでの話

 

夕方。外食*1 しようと思いクーポンを探し始めた。

 

この時ふと、自分の貧乏性はすこし度を越してるんじゃないかと頭によぎった。

 

財布を開くときはいつでも厳しいラインで割に合うか考えてしまう。

 

見る人が見れば、貧乏性極まれりと驚嘆するぐらいには出来上がっているだろう。

 

どうしてこのような人間になったのか。

 

じわじわと考えているうちに自分に元来備わっている怠け癖と、ある種の苦労が原因だと気づいた。

 

私は手が抜けるものなら抜くし、なるべく今あるものの内で済ませてしまいたい。

 

だから支出に関しても、増やすことには目が行かず、出て行くお金をいかにコントロールするかに情熱を傾けていた。

 

すると当然入ってくる持ち金は減っていくので、生活は困窮し、なにかと苦労をする。

 

特に家に関するエピソードには事欠かない。

 

部屋にベッドしかないのは序の口で、ある時は部屋のサイズが、信じられないかもしれないが、キッチン一つ分しかないということもあった。

 

しかもその部屋はやたら害虫が出てくるが、他に行くあてもないので嫌々住んだ。

 

そうこうしていると、人間いつかは慣れるもので、この生活レベルの低さすら苦にも思わなくなってくる。

 

そしてようやくそれなりの貧乏性が一人出来上がるという仕組みだ。

 

理屈を考えていき、一人ふむふむと納得しているうちに、突然一人の人物が私の頭に浮かび上がった。

 

母親だ。

 

母親も私同様貧乏性を備えた一人だった。

 

ファミレスへ行っても水しか飲まなかったことが印象に残っている。

 

当時は、それもこれも子供達を大学に行かせるための節約だと思っていた。

 

だが今になって思うことがある。

 

それは、母親もある種の苦労をしたのではないかということだ。

 

私がキッチン一つ分の部屋で住むことに抵抗がなくなったのと同様、いつか若い時に生活に関する苦労に慣れてしまう環境にいたのではないか、と思っている。

 

そうであるならば、報われてほしい。

 

私が両親を養うにはあと8年ぐらいはかかりそうだが、そういう人は報われねばならないと思っている。

 

*1・・・マクドナルドのこと